静岡が誇る世界で一番長い木造の橋
東海道最大の難所に架かる「蓬莱橋」の歴史

  • posted.2016/09/01
  • 山口拓巳
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静岡が誇る世界で一番長い木造の橋   東海道最大の難所に架かる「蓬莱橋」の歴史

こんにちは、編集部の山口です。

静岡県にはさまざまな景勝地がありますが、河川や湖といった”水の風景”は、美しい景色に欠かせないものではないでしょうか?

じつは、静岡は地域ごとに大きな河川が通っています。東から富士川、安倍川、大井川、そして天竜川。どの河も地域に住む人の生活に密着した河川です。

そんな静岡の河川のなかでも歴史的エピソードも多い大井川、そして、大井川に架かる木造歩道橋の蓬莱橋をテーマに掘り下げてみます。

”箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川”

大井川は、いまのように正確な地図や測量方法が確立されていないころ、京都を中心にした地域とそれよりも東側の地域を分けるために利用される河川でした。川幅が大きく、人の往来が極端に制限されるので、国防や交通の便からも都合がよかったからです。

大井川の話のなかでも特徴的なのは、江戸時代のエピソード。江戸に幕府を開いた徳川家康は、自身が隠居する駿府(現在の静岡市)の外堀の役目として、敵軍の動きを防げる大井川を重要視しました。なんと、橋を架けるどころか渡し舟を出すことも厳禁したというのです

そのため、一般庶民はおろか西側大名が参勤交代で江戸に馳せ参ずる際であっても、馬や人夫の手を借りて渡らなければなりませんでした。これを大井川の川越しと呼び、江戸時代には”東海道最大の難所”として知られるようになったとか・・・。

東海道五十三次島田宿世界に知られる浮世絵師の歌川広重の代表作「東海道五十三次」の『島田宿』。当時の”川越し”の様子が描かれています。

東海道五十三次金谷宿歌川広重は2枚もこの大井川の川越しで五十三次に使っています。両端が宿であったことも関係しますが、本人も川越しに苦労したのかもしれません。当時の大井川がいかに難所だったかがわかりますね。

こうして、東海道の道中では大井川が難所であることが天下に知れわたり、”箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川”という言葉もうまれました。箱根八里の道のりもよく知られた難所でしたが、大井川に比べれば・・・という、当時の旅人の心情がよく表れた言葉だと思います。

いま、大井川を自動車や電車から眺めてみると「あんな干上がった川だから、歩いて渡るのも造作ない」とイメージする人もいるかもしれません。しかし、現在は河原となっている部分も当時は川が流れていました。深さ70cm以上に達するうえに流れも急で、川越しを生業にしている人以外ではとても渡り切れるものではなかった、との記録が残っています。

※架橋を許可しなかった理由には、当時の建築技術では大井川のような川幅の河川に橋を架けられなかったからという説もあります。

蓬莱橋大井川蓬莱橋の上から撮影した大井川の様子。

明治になって架橋が許され誕生した「蓬莱橋」

難所と知られた大井川も明治になるとその状況は変化します。時の静岡藩主であった徳川家達(いえさと)が、志太・榛原地区への開墾を奨励したためです。

1870年(明治3年)の4月、家達は視察に訪れた同地で、牧之原の開墾のために入植していた幕臣・中条金之助景昭に、現在の蓬莱橋がかかっている向こう岸を指さしながら

開墾して農地とすることは宝の山を築くのと同じ。あそこの山は宝の山といってもいいだろう。みんなで協力して宝の山を切り拓いてくれ

と激励しました。

蓬莱橋3時の藩主・家達は島田の開墾を奨励。鬱そうとした山に見えますが少し向こうは牧之原台地の入り口。静岡が日本に誇る一大茶園が広がります。まさに”宝の山”だったというわけですね。

この声を聞いて、金之助をはじめとした島田の人々は家達が指さした山「谷口原(やぐちはら)」の開墾を進めます。そして、農地としての利用が始まったときに、交通の便が悪かったことから橋を架けてほしいと、いまの島田市に要請したのでした。

市が許可をすると地元住民が中心となって工事は進められ、1879年(明治12年)に橋は完成します。難所とされ渡るのにも一苦労だった大井川に、晴れて農作業用の道具を携えた人が簡単に行き来できる橋が誕生しました。

ところが橋が完成しても名前が決まりません。橋を架けた農民たちは地元の識者に何か案はないかと尋ねたそうです。その方は、家達の言葉を引き合いに出し「宝の山とおっしゃったことにちなんで”蓬莱橋”としたらどうか」と提案し、蓬莱橋という名前に決まりました。

ギネス認定もされた”世界最長の木造橋”

こうしてできあがった蓬莱橋ですが、橋が架けられてからのエピソードもたくさんあります。そのひとつが、1997年に“世界最長の木造橋” としてギネス世界記録の認定を受けたことです。

蓬莱橋ギネス蓬莱橋の手前にはギネスブック認定の証が。写真中央に”世界一長い木造歩道橋”と刻まれています。

蓬莱橋はギネスブック認定時、橋の長さに関する逸話がうまれています。橋が架かった明治時代はメートル法ではなく昔ながらの尺貫法での測定しかしていませんでしたので、世界基準で比較するために、と、ギネスブック側から再測定が求められました。

いざ、測量してみると橋の長さは「897.4m」ということがわかり、晴れてギネスブック認定が行われたということですが、よくよく見てみるとこの数字、

「厄なし(8974)」に読めませんか?

このことがわかってからというもの、蓬莱というご利益がありそうな名前に加えて「厄なし」、さらに、語呂合わせの「長生きの橋(長い木の橋)」なんていうのも登場して、長寿祈願にはうってつけのスポットになったそうです。

大井川の歴史を感じつつ渡る往復20分間

蓬莱橋について調べてみて、この橋がただの木造で珍しい橋ということだけでなく、同地の歴史や人々の苦労、パワースポットとしての魅力も秘めていることにはとても驚きました。

作られてから140年近くもの間、激流に流されることもなくその場に架かった木造橋を歩けば、そんな大井川にまつわる歴史を風とともに感じられるかもしれません。

蓬莱橋俯瞰図橋の長さは900m近いこともあり、歩いて往復するだけでも20分前後かかります。

ちなみに、蓬莱橋は地元の農家さんたちの手で作られた農道の一部ということもあり、今では保全の必要性から橋を渡るには有料となっています。とはいえ晴れた日には富士山も望めますし、風の心地よさを感じられるので、ぜひ散策してみてください!

最後に、手すりが低いため身を乗り出して川を見るのは厳禁! 長生きするどころか危ないので十分に注意してくださいね。

蓬莱橋長寿の鐘対岸には蓬莱橋の由来が書かれた立札や長寿の鐘などがあります。

蓬莱橋

住所:〒427-0017 静岡県島田市南2-22-14
電話番号:0547-37-1241(島田市観光協会)
アクセス:JR東海道線島田駅から徒歩15分
営業時間:日の出から日没まで
駐車場あり(大型車11台分、普通車26台分)